ayya # 047 北海道新聞とタテマエと知事選挙

重苦しい雰囲気が漂っていた。道庁三階の副知事室。磯田憲一副知事ら道幹部が十日夜、急きょ、顔をそろえた。

同日夕、公正取引委員会道事務所から道の農業土木談合事件で押収した資料を「明日返還する」と電話が入ったからだ。「返還は夏」とみていた道は予想外の展開に慌てた。資料には道幹部や道議の名前が載った口利きリストがあるとされ、実名の扱い次第では、道政を揺るがす問題に発展しかねなかった。

隠し立てすれば、世論の批判を招くと懸念する「全面公開論」と、一定の配慮なしに実名公開した場合、道議らの反発を恐れる「慎重論」がぶつかる中、ある幹部が放った言葉にだれも二の句がつげなかった。

「名前を出すと言っても選挙のこともある」―。結局、さらに調整を進めることにした。

発言は、三選を視野に入れる堀達也知事への配慮にほかならなかった。三月の北海道国際航空(エア・ドゥ)への道の追加支援問題でも、知事周辺は世論の批判を踏まえ、「知事を傷つけまい」と判断先送りのシナリオを描いた。こうした光景は「堀三選」に向け、道が事実上、始動していることを映し出していた。

[北海道新聞2002年4月24日(水) 展望'03道知事選(下)より]

ううむと唸ってしまうわたしは素人くさいだろうか。現職の知事や市町村長が職員を自分の選挙活動に使うというのは現実には普通であってもタテマエ上職権乱用というものではなかろうか。地方公務員というのは誰が知事・首長になろうと関係なくその人に対して資料をそろえて、政策の草案のための準備もし、命令にはそれが自治体の仕事であるかぎりにおいて従うものではないか。勿論知事の施策の成功は知事の次の選挙に有利にはたらくから、その範囲で現職の当選を助けたとて問題はない。が、資料の発表の可否になんで知事選が関係するんだ。

しかし、この記事はそのことを批判したものではない。結論は「手堅い行政手腕への評価がある一方、役人出身のため、パフォーマンスが得意な政治家や作家出身の知事を比べると、地味で発進力不足との批判がつきまとう。」だそうである。パフォーマンスのほか何もない某首相との比較でいっているのだろうが、選挙のために談合リストを隠蔽するというのは充分政治的スキャンダルじゃなかろうか。

ここに不在なのはタテマエだと思われる。勿論政治家に期待できる最大の美徳は偽善だろう。一見その政策が選挙民に有利にみえても真の狙いは自分自身の利益だったり、権力の増大であったり、名声であったりするだろう。それでも、その手段としてのアメであるところの施策が選挙民に利益があるなら、君主制のように君主の利益を第一とする、タテマエなしの収奪よりはましであろう。そのかぎりにおいて非能率な素人政治家の集団と衆愚と特殊権益のかたまりとなること必至の代議制度にも消極的ながら存在意義があるというものであろう。

大衆はなるほど愚民だが、貴族や上流階級だってただの欲張りの自己中心の愚貴族じゃないかというのが世界史の示すところである。みんなダメな人達なんだからせめてタテマエでもって自らを束縛し、そのかぎりに於いて公民であろうよ、いいかえれば、エエカッコしてムリしなければ立派な人になんかなれはしないというのが歴史から学ぶべき知恵じゃないか。

ブッシュ大統領の「思いやりの保守」というのは、貧民がますます増大し、貧富の格差が広がる中で、自分は本質的に1%以下の最上流層にありその利益を第一義にもつ同大統領の政治的パフォーマンスに過ぎない。が、それでもそういわざるを得ず、そのために何らかの施策をしなければならなくなるあたりに意味はある。権力の側が民衆の抵抗を「テロ」といいくるめなければならないわけもここにある。それを国家の暴力に対する民衆の抵抗と認めてしまえば攻撃する正当性を失なってしまうのである。

もっとも安直に支持率をあげるのはそういうオモイヤリ施策--たいしてヤル気もないのでどうせ効果もあがらないだろう--よりは国威発揚、対外攻撃である。この点からも昨今のイスラム復興運動を原理主義と呼び、その先鋭的な部分をテロリストといい換えることは重要であるらしい。国家の暴力装置ウルトラマンがサバルタン星人に空中からスペシウム光線をおみまいするとき、国家はテロとの戦いを声高に叫ぶ必要があるわけである。

ところで、ブッシュ氏がゴア氏に勝った理由はみるからに有能そうなゴア氏にたいし、論争では全然かなわず、だめなボンボンぶりを発揮したことがどこかクマさん八っさん風であったためだという。どちらかというと顔つきではないかという気もする。ゴア氏はどうもハリウッド映画の悪役風の顔つきでブッシュ氏のほうがまだしも主役側の顔つきだったのではないかと。ともあれ、ブッシュ氏はただのボンボンでも彼の閣僚は一流である。アメリカの「国益」、つまりアメリカ政府に影響力をもつ巨大資本の「社益」のためにはいかなる外交上の横車も暴力も表裏のいかなる手段も辞さず、冷徹に方策を立案し実行するであろう。ここらへんからCO2問題で人類の存亡よりもアメリカの国益を優先する発想が出てくる。あれは国家の判断というよりは企業の判断であろう。

はなしが脱線した。要するに頼むからもう少しカッコいいたてまえを出してそれで自分自身を束縛してほしいのである。ただし「構造改革」みたいな中味のよくわからない標語では困るが。構造改革の骨子は民営化、規制緩和、自由化だからアメリカ風の1%の大金持とその他大多数の貧民の社会が目標だということをいったいどれだけの人が理解して支持してたんだろう。リストラ、倒産、失業者増加などはこの点からは構造改革の副作用ではなくむしろ主作用という気がするんだが。今回の富裕者に対する減税、貧者に対する増税という路線はそういう意味では首尾一貫している。

ところで世の中には自分が選ばれたエリートの側だと錯覚してしまう人というのはいて、自分がリストラされる多数側ではなく生き残る極少数者の側だと思うのである。かつて小泉首相の政策で切り捨てられるであろう人なのに小泉首相を支持した人々というのはこのての人であったのではないかしら。このての男は、例えば一夫多妻制ときくと男の天国だと思うのである。男女の人口比は一対一なのだから一夫多妻制というのは少数の男にほとんどの女が集まり、ほとんどの男達はアブれてしまう。そんなわけで娼婦というかたちで同時に一妻多夫制が出現するのがパターンなのであるが。そういう社会では嫁はんをもてれば、それだけで大した果報者なのである。彼はその社会では十中八九はアブれる側になるはずなんだが。とはいえ現代日本であっても嫁はんをもてればそれだけで大した果報者には違いない。ハイ感謝してますよ。ぼくって三国一の果報者ですよ。ほんとだって。

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2002/5/2