はげましのお声、ないしは罵詈雑言ノーマル版

御芳名


おことば

準備はいいですね


420

おなまえ
小麦
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メッセージ
「酔っぱらった馬」楽しんでいただけたようで、普及委員会としてはうれしい限りです。でもキアロスタミとゴバディって作風全く違うでしょ?ほんと、てんこ盛りなんだから、ゴバディさん。
イラン映画で子どもを使ったシーンが多いのは、成人しちゃうと、女優と男優が抱き合うシーンがイスラム教の戒律でNGだから、らしいよ。男優と男優が再会の喜びに抱き合うシーンはよくても、母=息子、兄=妹が抱き合うシーンはだめなんだって。
密輸は、サミラ=マフマルバフの「ブラックボード〜背負う人」でも扱ってましたね。

日付Sat Nov 30 22:50:44 2002

419

おなまえ
もじもじ
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メッセージ
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
|そこのあなた |
|つっこんで! |
|_______|
 ∧ ∧ ||
( ゜д゜)||
/ づΦ

また ずれたらごめん。

日付Fri Nov 29 17:22:36 2002

418

おなまえ
もじもじ
--------
メッセージ
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

|ここでボケて! |
|_______|
∧∧ ||
( ゜д゜)||
/ づΦ


日付Thu Nov 28 19:49:44 2002

417

おなまえ
micmic
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メッセージ
田沼に関してはわたしの知識は講談社現代新書の「新書江戸の歴史」シリーズでとまっている。件の日本の歴史が16巻天下泰平で月刊講読がとまっているのだ。冬季講習をシノいだら、ちょっと暇になるからあれだ。
だから、吉宗の農村政策の引き継ぎ、および一部放棄といったところか。新田開発については熱意があるし、北海道の開発にも熱意はあるがどちらもどこか商人に主導させて、上前をはねようという雰囲気である。天明の飢饉は流通でしのごうとしたというが、それって貧民には厳しそうな話だなあ。

なお、教育のほうは、子どもを小学校に通わせるためにふもとに引越してしまったり、山奥が廃村になってしまったり、夫婦船での船上生活をやめてしまったり、海産豊富な離島生活を放棄したりと生活の場そのものが大変動したところもある。村でも、小学校ぐらいでデキに見切りをつけて稼業でも継げばいいが、うっかりデキがよくて、県庁所在地の旧制中学にでもいかれたらおおごとだ。田畠手放しなんてこともある。でもって、東京の大学ってことにでもなれば親戚縁者・村落の仲間に頼み倒して借金ということになる。その挙句、肺病で若死にでもされると泣いても泣けない展開である。
それでもわが子のためについつい無理してしまう。ま、大学進学となると兄弟親戚縁者全員の期待を一身にあつめてたりするようだ。デキのいい二番目のお兄ちゃんのために兄弟全員出稼ぎしたりして。そうまでしても光輝いてみえる官僚生活なのだった。

日付Mon Nov 25 14:59:06 2002

416

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
ああ、教育が農村を変えていくってのは面白いなあ。
教育の重要性ってのはリベラルな人々も否定することはまずないが、そういう側面もあるんだねえ。
現代でも、子供の教育費に全く現金を出さなくてよいとすれば、父親も母親も夕方には家に帰るし、我が家もあと2人くらい子供作れるし、かなり世の中変わるかもなあ。もっとも、そうなれば俺は今の仕事を失うので、何かまた考えなければならないことになるけど。

父性っていうのは今ひとつよくわからないが、親が二人いる場合、役割分担はできてくる。といっても、叱る人と慰める人というだけのことで、臨機応変に入れ替わるんだけど。長男が大きくなると、次男の慰め役をしてくれたりもする。

僕の住んでいた地域にもくすぐりおやじがいた。魚屋さんの配達員なんだが、子供を見かけると大喜びで自転車から降りてきてくすぐり倒すのだ。俺はこそばがりなので、格好の標的となっており、そのおやじを見るだけで全身が痙攣しそうになったものだ。

松平定信の農村政策は高校教科書にもでかでか乗っているが、田沼さんは何もしていないのかね。俺の手近にある本には特に記述はないのだが、農村対策を何も取らずに商業経済エンジンに点火したのであれば、乱暴な話ではある。

日付Mon Nov 25 11:24:10 2002

415

おなまえ
micmic
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メッセージ
教育については村でつつましく暮すぶんには自足できるもの、物々交換できるものでおおむねこと足りるのだが、現金はたまの薬や農具代くらいで済むのだが、子どもの教育となると現金があれこれと必要になり、出稼ぎにいかざるを得なくなると、まあそういうパターンがあるらしい。で、この出稼ぎがまた農地を荒してしまい、ますます現金依存を深めると。

民話に登場する日本の親は泣く子と地頭には勝てない大甘タイプが基本だからねえ。父性というものを認めたっていいが、それは厳父慈母図式のそれではなく、子どもを背中に背負って農作業をやって暖かくて気持いいとか、却って手間がかかるのに子どもに手伝わせて、失敗したらしたで喜び、成功したらしたで嬉しがるそういうあれだなあ。

ところで私の暮らしていた地方都市では、子どもと見るや嬉しそうな顔をして近寄ってきてさんざんホラ吹きをして遊ぶおじさんというのがよくいたものである。子どもが間にうけるのが面白いらしい。騙されて珍事などおこそうものなら大喜びである。はてはいきなり脇腹をくすぐるやつも結構いた。それも仕事や配送の合間に。わたしは初対面のおじさんにいろんなホラを吹きこまれて成長したわけだ。いまなら怪しい人として警察につかまりそうなおじさんたちである。


日付Mon Nov 25 10:59:30 2002

414

おなまえ
micmic
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メッセージ
しかし江戸時代というのは農業生産力も工業生産力も運輸流通機構も革命的に進歩し、文化面の発達著しく、人口も爆発的に増大、地方都市が未曾有の繁栄というわけなのでいっそ都市対策という面もありそう。しかし、天保の囲米のほうは軍事需要であるからこれはアヘン戦争にびびったかの。

日付Mon Nov 25 08:34:10 2002

413

おなまえ
micmic
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メッセージ
その問はぼくみたいな素人では手におえないくらい難しい。ちょっとよい史料もでてこないしね。

1) 幕府政策だから基本的には天領が対象だとすると寛政年間ということで、享保年間、明和年間といった新田が開発され、新田集落が多く誕生していたこと、こうした新規の集落には諸制度不備が予想され、また江戸幕府というのは民政に関しものすごく面倒見のいい幕府であったこと。

2)松平定信というのはとんでもないアナクロ男とはいえ、領民を飢えさせないというのは重要な徳と考えてはいた。また、新田開発には乱開発が結構あり、それゆえ不作・飢饉はおこりやすくなってたというのもあった。だいたい天明の大飢饉の直後でもある。

3)でも農村の分解について、江戸近辺の村落、京・大坂近辺では換金作物への転換など資本主義化はたしかに先行していたこと。

4)とはいえ、貧困者に対する無給地、無縁地、あるいはコンブ、ワカメ拾いの支援などは昭和30年代まで実は存続していて、結や講や勧進による互助組織については何を隠そう私は「大峰講」「天理講」に参加したことがある。

5)農村の分解について決定打となったのは実は「地租改正」であるというのは以前どこかで書いたが、これは司馬遼太郎「街道をゆく」の9に詳しいインタビューがある。しかし宮本常一によれば義務教育というのもあるらしい。つまり寺子屋のような地域に密着した教育ではなく官吏・サラリーマン養成型、それゆえ農漁村破壊的に機能したという。


日付Sun Nov 24 16:46:40 2002

412

おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
議論の本筋からは離れるんだけど、江戸中期以降の農村の階層分解の中で、農村の共同扶助組織ってどの程度壊れて、どの程度近代に受け継がれていったんだろうね。もちろん地域差も大きかっただろうから一概には言えないが。
寛政の改革での囲米なんてのは、農村のそういう機能が失われたから幕府が音頭を取って再構築したものと考えてもよいのだろうか。

日付Sun Nov 24 11:15:12 2002

411

おなまえ
micmic
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メッセージ
ワクフをはじめとするイスラムの諸制度・歴史については講談社現代新書『都市の文明イスラーム』がさしあたりよいと思います。巻末にはブックガイドもついているので学術的研究ということになるとそちらを参考にしてください。なお、この三巻シリーズ『新書イスラーム世界史』は入門用としては最適だと思います。第二巻『パクスイスラミカの世紀』第三巻『イスラーム復興はなるか』もおすすめです。江戸期の民衆活動についてはこれといった名前はついていないのですが、民俗学の宮本常一の著作、岩波文庫『わすれられた日本人』講談社学術文庫『塩の道』『ふるさとの生活』および作家司馬遼太郎の紀行『街道をゆく』シリーズがよいと思います。9巻とか21巻とか36、37巻あたりがよいかしら。


日付Sun Nov 24 08:06:06 2002

410

おなまえ
たぢ
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メッセージ
>403
その200年について僕は興味あるののです。これからどうなるかはよく判りませんので。
イスラムのワクフについては全然知りません。今後調べてみます。江戸時代の〜も知りません。何か参考文献があれば教えてください。
>以下408まで
そうかもしれませんね。
>409
返事保留。


日付Sun Nov 24 00:06:11 2002

409

おなまえ
micmic
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メッセージ
神との対峙ないし、神の前にひとりたつ個という意味での個人ならば、これは全然西欧、米の特徴とはいえません。イスラムでもロシア正教でもユダヤ教でもセム的一神教ではおなじみの概念ですが、ギリシア・ローマ的伝統には何の関係もない。もっともギリシアローマの文明というのはメソポタミアから地中海にかけての広がりをみせたオリエント文明の一角、一傍流とみなす立場もあるので従ってメソポタミア文明からの5000年にわたる継承というならそういうこともあるでしょう。ただしその場合継承者は欧米のみならず、中央アジアからアフリカおよびヨーロッパを含む文明においてというはなしにしかならず、「欧米」だけが、という趣旨からはほど遠いでしょう。
従ってこれを現在の欧米の隆盛の根拠とする人はイスラム諸国や東欧諸国の歴史というものを忘却しているとしかいいようがないでしょう。

日付Sat Nov 23 16:13:32 2002

408

おなまえ
micmic
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メッセージ
ごめんなさいこれ、ちょっとウソです。
>>話せば長くなりました。390番からここまでひとつの話です。
393と394は「とだ」が書いたやつです。でも僕も同意見ではあります。

日付Sat Nov 23 14:16:20 2002

407

おなまえ
micmic
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メッセージ
S.J.グールドが「ダーウィン以降」からの一連のエッセイで進化のビデオテープをもしカンブリア爆発まで巻き直して、再生することができたなら、再生するたびに違う結果がでるだろう。カンブリア紀に将来性をみた場合誰がアノマロカリスをさしおいて、ナメクジウオなんかにかけるものか。哺乳類の繁栄も人類の繁栄も必然の部分よりはるかに偶然の部分が大きい。と。

これを読んで、中学以来ぼんやりと持っていた、進化や歴史の必然という信仰は吹きとびました。ここは確率的に存在したかもしれない並行宇宙のひとつ、別の展開も可能性も充分あったと考えるようになりました。

日付Sat Nov 23 12:10:36 2002

406

おなまえ
micmic
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メッセージ
中世以前の宗教というのは科学や日常生活習慣を含む暮し方の総体なので、現代風の信仰とはちがいます。むしろいわゆるキリスト教原理主義は現代がもっとも優勢であります。ところでニュートンは神の栄光を讃えるためその物理学を完成し、ダーウィンは牧師/修道士としてチャレンジャービーグル号にのりこみ、進化という神の奇跡をたたえたわけです。19世紀には学会でキリスト教徒でないという立場はとれなかった、しかし、それはタテマエ上のことでなく彼らの信仰と研究は矛盾はしなかったわけです。

19世紀、20世紀の世界中を軍事力で抑圧し、帝国主義戦争に狂奔したヨーロッパよりは辺境の蛮族としておとなしく豆を喰ってひっそり生きていたヨーロッパのほうが魅力的とは思いますが、これは純粋に趣味の問題ですね。

日付Sat Nov 23 12:01:08 2002

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