はげましのお声、ないしは罵詈雑言ノーマル版
765
おなまえ
上田だ
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メッセージ
昨日、3.4年ぶりに吉田寮に行きましたら、若井真由美さんにご挨拶
出来ました。聞くところによると、現在の入寮者は190人だとか。但し、
留学生・院生・卒業生が1/3を占め、実質、昔らしさの「男性、学部生、
単身」の顔と名前が一致するモノカルチャー軍団は130人くらいで、西
寮があったころと変わらないよ、ということ。多様性をうまくまとめられ
ていない印象で、若井さんが、事務室に漫画を増やさないように言っても
聞かないらしく、マナーを知らぬ現在の寮生は、漫画本を床に放りぱなし
にして、若井さんがせっせと片付けて降りました。留学生との国際化によ
る多様性の可能性は幻か。
さて、一人息子の、亮太郎は大学浪人中でして、数学はZ会でもトップ
クラスなのに英語が中学生レベルと嘆いておりました。高校生のころ吉田
寮で鍛えられてマージャンは強いらしい。
やっぱり、木造の建物に、オプションとして「若井さん」という要素が
あるから、フラッとよりたくなるもので、これが新寮だったら、立ちより
もしないであろう。でも建物は500年は持っても、若井さんがずっとい
たら、それこそ、桜の下の首狩族だあ。
日付Fri Jul 4 15:48:13 2003
764
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
うむ、そうすると俺などはさしずめ、天皇を至尊至高と本当に信じて、一君万民の平等社会を築こうとした陸軍皇道派といったところかのぅ。吉田寮に北一輝がいなくてよかった。
日付Wed Jul 2 10:37:31 2003
763
おなまえ
micmic
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メッセージ
あああ、世代継承してるうちに言霊が成長するというと、天皇のことを将棋ふうに玉と呼び、その神性を統治のためのフィクションと自覚して利用していた伊藤博文や井上毅と、次世代の桂、西園寺そしてそのまた次の世代の近衛あたりの温度差をちょっと考えちゃいます。同じフィクションでもちょっと雰囲気がね。
日付Wed Jul 2 10:26:07 2003
762
おなまえ
micmic
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メッセージ
ま、言霊ってのはいて、喋ってしまった言説はひとりで自己実現しちゃったり、別の効果をだしちゃったりするんでいいんじゃないですか。とだはダマされちゃったせいで不幸にも幸福な人生を送っちまったわけでさ。たぶん委員会でも塚本さんと稲庭さんあるいは野島さんでは温度差があったろうさ。なお、ぼくらにダマされたひとみさんは「え、新寮ってスローガンだけぢゃなく、本当にとる気だったの?」とのこと。
おれは建具屋のセガレだから、子供のころから某大手建築会社の建売り住宅とか、新築公団住宅とかの建築現場に出入りしてたもので、まるで風とおしを勘定にいれてない高度成長以降の建物がだいきらい。ありゃ、エアコン必須で、ダニの温床で、湿気対策のなっとらんもんだ。大体コンクリートの住宅なんかどのみちこの国ではロクなもんではありえない。(独断と偏見)
新築の塗装の匂いなんか思いだすだけで吐き気がする。クマノ寮なんかただの安普請にしか見えなかったものな。新寮のなにがいやといって現代建築と納期数ヶ月で立つようなバカ建築になるだろうことだ。まして、あの時期だどうせ、下請けにズブズブのコンクリートを流しこまれて数十年でヒビワレ、剥離するようなシロモンになるんだぜ、きっと。よその新々寮のように。
吉田は違うよ。あれは冷暖房不要、炬燵だけですむ快適な住居だよ。あがりがまちを思いだしたって軽く二尺はある。湿気も逃げるし、ダニ対策もらくだ。ちゃんと使えば500年は使えそうなもんだ。
あれ、完全に本末転倒か。ごめん。
日付Wed Jul 2 09:25:01 2003
761
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
>>760
あいあい。もちろん、
> 当時、「上手に操った」つもりもなければ
> 吉田寮の仲間を「アホ」と思って、詭弁を弄した意図は当時の執行委員会には
> 一切ないない。
のは分かっておりますです。
あくまで僕の洞察力の欠如と未熟さゆえであります。簑さまをはじめ、当時の執行委員会の面々を糾弾するつもりも資格もありません。が、そういう腹芸を理解できずに、Cで喚き散らしたりビラ撒いたりしていた自分はやはりアホであるし、自分が説得して署名してもらったり集会に来てもらったりした学友各位には恥ずかしくて顔向けならんというのも正直なところですわ。
> 信頼しあって「自治」をいま-そこで実行しようとしてくれた、
> これこそが、上田が残したかった、吉田寮の有益な人間関係
それについてはやっぱり僕にはわかりませんのでノーコメントです。ただ、そういう種類のものを大衆運動として、吉田寮に縁がない人々に共感してもらおうというのは苦しかったような気がする。僕は「自治・自主管理空間の死守=寮外との連帯」を愚直に信じていましたよ。吉田寮の人間関係という、寮内部のものを守るつもりはありませんでした。
> 戸田さんが、あと2年早く吉田寮に入っていたら、
> アルタナティブな、面白い体験をしたかもしれませんな。
いや、僕は偏屈者だから、そういう人間関係には背を向けたのではないかと思います。おそらく星山君的なポジションを占めたのではないかと。そういう意味では1985年入学入寮でよかったのかも。
日付Wed Jul 2 01:20:15 2003
760
おなまえ
ミノやんです
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メッセージ
>そそ。そういう指導者に上手に操られていた自分がアホで情けないということ
>ですわ
言葉の「あや」かもしれないが、当時、「上手に操った」つもりもなければ
吉田寮の仲間を「アホ」と思って、詭弁を弄した意図は当時の執行委員会には
一切ないない。だた、みな、一生懸命に、残しやいものはなんだか、真剣に
考えて、かつ、天々有に行くには、直截にそう主張するよりは、マクドに行
こうと主張したほうが、大学当局も困るし、中核派もあせるし、民青も論理
構築困るだろうと考え抜いた。だた、1985年に入寮したかたがたには、
そのロジックはうまく伝えられなかったと推定できる。そこまで手が回らな
かったから、西寮で、本田君騒動など、発生したときも、対応が不十分だっ
た。でも、これだけはいえる。小長井や塚本、そぢて、長谷部といった、3回
以上の仲間は、信頼しあって「自治」をいま-そこで実行しようとしてくれた、これこそが、上田が残したかった、吉田寮の有益な人間関係であり、当時も-今も
互いに欠けている「雰囲気」だったと思う。あの時代は、僕にとっては、いろいろと今でも考える材料を与えてくれる。
戸田さんが、あと2年早く吉田寮に入っていたら、アルタナティブな、面白い
体験をしたかもしれませんな。こればかりは、IFの世界でごめんなさい。
日付Tue Jul 1 23:33:54 2003
759
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
そそ。そういう指導者に上手に操られていた自分がアホで情けないということですわ。つまるところ。操られるなら承知の上で操られたかったし、あるいはきっちり「俺は高野で兎に囲まれて死んでもいい!」と死の行軍を主張するべきであった。
日付Tue Jul 1 10:58:09 2003
758
おなまえ
micmic
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メッセージ
しかし、「マクドいこけ」といった指導者はじつは昨日までラーメン喰いたいっていってたひとで、そのひとはあくまでラーメンを喰うロジックとしてマクドへ行くことが最適と判断していたわけですね。実は既にマクドが改装してミスドになっていたことも知ってて、天々有はいくにはぼくらは体力が不足していることも承知で。
ううむ、じつに深いヨミであります。んもう、ミノさんったらヒトが悪いんだからぁー。
日付Tue Jul 1 10:34:32 2003
757
おなまえ
micmic
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メッセージ
これはこれは、わが敬愛するミノダさま。こんにちは。
愛着とか趣味の部分はさておくと堅牢性および耐久性において、木造建築物には一日の長があるのは衆知のとおり、いまさら言及する必要はありますまい。いわんや居住の快適さにおいてはまたいうに及ばないわけですが、「無防備」が侵入者、どろぼうに対するそれならば始終顔見知りがいつもいること以上の防備はちょっと無さそうですし、またものものしい防備を備えることは学生寮にはどうかと思います。ただし、学寮が城塞であるならば、おそらくコンクリートづくりのほうがいいのかもしれませんが、ここらへんは「屁のつっぱりはいらんですよ」ということで。防備というものは何から何をどの程度の不便とひきかえにという問題が流動的になりますね。
ただ、結果として戦後建築とはまるで違う木造寮が防衛できた以上、当時の執行委員会の方針はわたしは正しい、と考えています。ちょうど、ぼくらはラーメンが喰いたかったのに「マクドいこけ」という指導者についていったら、マクドはいつのまにかミスドに店替えしていて、結果的にラーメンを喰ったように。あのとき、断乎天々有に歩いておれば、高野の交差点でぼくらは行き倒れになっていたのかもしれない。
けれども結果的にラーメンを喰ったいまとなっては、あのときチャンとラーメンを喰いたいと主張すべきではなかったか、そんな悔恨が残るのです。それはミノさんには何の責任もない。ラーメンへの思いを胸の奥にしづめ、クラスメイトや通行人にハンバーガーを薦めてしまったぼくらの罪なのであります。
日付Tue Jul 1 08:21:46 2003
756
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
「考えに考え抜いてロジックとして最適と判断した」のは上田さんたちであって僕ではないので、僕にはあまり関係ないことです。
総会で賛成したじゃないかと言われればその通りですが、方針を出す側と、完成した方針案を受け取って、賛成または反対を述べる側とは、同じではありません。
僕が当時、対抗方針を出さなかった(出せなかった)のは事実だし、正直吉田寮は僕にとってはもうどうでもいいことなので、吉田寮正史を語るのは上田さんにおまかせします。
ただ、この方針を大衆運動の中で説明していくことには(特に中核派に主導権を握られていた教養部において)難しさを感じていたこととか、当時の僕が感じていたそこはかとない違和感を、ネットの片隅でぐちぐち呟くことくらいは見逃して下さい。
あと、吉田寮が阪大の寮みたいに華々しい最期を遂げたとしても、その場に居合わせた者どもの心には、何かが残ったであろう、などということを夢想すると、吉田寮を残すことだけが運動方針ではなかったかもなあ、などと考えたりもしています。
あと、「結果的に」という判断基準はあんまり好きじゃありません。
日付Tue Jul 1 02:00:09 2003
755
おなまえ
上田だ
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メッセージ
>メッセージ
>新寮なんか実は欲しくないしそんな吉田寮には入りたくもないというのは俺も同感であ
>る。しかし寮生だった当時は自治会の新寮方針とか、あるいは自分が執行委員会に入った>ことに影響されて、オノレの欲求に気づかず、ゆえに正面切って表現できなかったことを>反省している
1984年までの新寮反対方針を覆して、逆に新寮方針へ1985年に転換したのは
あくまで自治集団としてある種の雰囲気を持った「吉田寮生」を維持させるた
めに、考えに考え抜いてロジックとして最適と判断したためだ。もちろん、木の
香りのする、引き戸の無防備な旧寮に愛着が深い寮生も多数いたはず。だが、そ
れが悲観的な結末(大阪大学宮山寮)を、中核派との争闘の状況で予感させられ
たからこそ、新寮方針だったわけです。そのときはそんで正しかった、と今でも
信じている。新寮方針だったから、結果的に、木造寮が残ったんじゃないかな。
日付Mon Jun 30 17:01:51 2003
754
おなまえ
micmic
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メッセージ
1985年というと一回生のときよの。プガジャのライブ情報にはまだ村八分は結構のってたような気もするが、いちども行ったことはないなあ。一度くらいいけばよかったか。このお三かたは当時ウブなわれわれにはとてもとてもアヤしい長老集団でございました。
けれども五回生、六回生になったからといってそれだけでそんなにアヤしくなれるものではなく、ちゃんとアヤしい行動と歴史をつみかさねなければ立派なアヤしいものにはなれないのでありました。
日付Wed Jun 25 08:47:29 2003
753
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
飛鳥新社『チャー坊遺稿集 1950〜1994』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4870315262/ref=pd_sr_ec_ir_aps/249-9593043-9269917
という本を読んでいたら、口絵写真でチャー坊を交えて飲み会をしている
・崎山政毅氏
・上杉英世氏
・古屋哲氏
を見つけて、おおっ!と思った。
時は1985年、場所は蓮月ハウス。
崎山氏はチャー坊より目立って映っている。
日付Tue Jun 24 23:24:50 2003
752
おなまえ
micmic
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メッセージ
森で妖魔を退治しながら放浪するあたりは「このドラクエ娘!」と思っていたのですが、よく考えるとファンタジーものの基本パターンではありドラクエのほうが摂取したわけではありました。「このさすらいの騎士娘!」。二分法でものごとを考えたがるあたりでは「このデジタル娘!」と思ったのですが、よく考えると2進法でもコンパクトディスクなみに16桁準備すれば2^16=65536とおりくらいの判断とCD程度の音楽性は得られるのであった。そんなわけで「この1ビット娘!」
すいません。
閑話休題。過度にはなしを複雑化して問題を先送りにすることはあり、エラいさんのゴマカシの基本ではあるのです。そのアンチテーゼであるかぎりにおいて伴流の子のいうことは正しい。窮地に追いこまれ、切羽つまった人は悠長なことはいってられないでしょう。けれども、その二分法で切り捨てたことのケリはあとからつけねばなりますまい。蛮刀をふるった以上あと始末はちゃんとしなくちゃね。
左翼ふうの人の「あれか、これか」は還元主義として表出することがありますね。性差別や民族問題、部落差別、環境問題なんかを階級闘争に還元してしまうものいい、またはあとまわしにしようとするものいいなんてのがありますね。階級闘争に勝利すれば全部解決、敗北すれば全部ダメ。だから、南北問題にとりくむのも、諸差別問題にとりくむのも全部やめてナントカ政権打倒に決起しようてなことをおっしゃったりしてね。このてのことをいうやつを信用しちゃいけません。
「労働者は階級的に差別しない」なんてのはその筆頭ですね。
日付Tue Jun 17 09:01:20 2003
751
おなまえ
小麦
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メッセージ
【削除依頼のため当面公開停止 by 管理人】
日付Mon Jun 16 23:44:13 2003