はげましのお声、ないしは罵詈雑言ノーマル版
930
おなまえ
micmic
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メッセージ
ぼくみたいな田舎者にとってベルリンやカンヌ映画祭、ってのはもう見た映画が評価されるものではなくって、まだ見てない面白い映画を紹介してくれるものなんだよな。
あっちで賞でもとらないかぎり、ナイジェリアの映画なんてのは見る機会がまずない。
昔のアメリカでも日本でも、香港でも台湾でも、中国でもイランでも映画産業が勃興してくるときの映画というのは、なんだかとても面白いような気がする。カンブリア爆発みたいなもんか。ボソボソ。
日付Sun Mar 14 08:52:06 2004
929
おなまえ
micmic
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メッセージ
今から見返すと926も誤解を招く書きかたでした。
個人の評は言うに及ばず、アカデミー賞だろうが、ベルリンやカンヌ映画祭だろうが、愛情あるいは嗜好以外の何物もわたしは認めておりません。
中原中也の山羊の歌と山之口貘の鮪に鰯とを公平に比較したからといって何か意味があるとは思えないのです。
日付Sat Mar 13 19:13:33 2004
928
おなまえ
micmic
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メッセージ
すべてはハヤトチリでございました。自戒せよ。>>927
日付Wed Mar 10 21:35:47 2004
927
おなまえ
micmic
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メッセージ
EVERYBODY! 教えておくれ。
ああ、やっぱり納得いかん。イイタイ放題書くってのはそれに対する批判には諸般の事情の許すかぎり応えるってのがヒキカエだろう?そりゃ物理的にムリとか、いま忙しいからアトとかそういうのはありだと思うが。
WEBにサラしている以上、「読んでくれとは頼んじゃいない」ってのはボヤキとか、相手のヒマさに対する呆れとしてはわからんでもないが、基本的には逃げ口上じゃないかあ。
だからこそ、連絡先も書かずにゴチャゴチャ書くやつあ卑怯者なんだろう?
わかんねぇ。
批判は焦るし、ウロタエるし、どうしようと思うし、この忙しいときに迷惑、とか内心思うけれども本来ありがとうって種類のもんじゃないかあ。だから即答はしなくていいと思うけど。
日付Tue Mar 9 17:22:07 2004
926
おなまえ
micmic
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メッセージ
愛情はわかってるの。愛情のないやつからは
>>日本人には、もはや人間を描く力が残っていないのではと思わされたり。イ・チ
>>ャンドンやキム・ギドク、ポン・ジュノにあって、坂本順治や井筒和幸や押井守には、
>>ないもの。それが人間を描く力なのか…。うーん、認めたくないよお。
>>パトレイバーやうる星から、テンポの良さをひいたら、何が残るというのだ、押井守!
>>という感じでした「イノセンス」。
>>ちゃんとエンターテイメントしてください。お願いです。
こういうセリフは出てこない。
ただ素直に愛情を出しゃあいいのに客観ぶるもんだから。
…………違うな。
>>黒子をまとって、銀皿の上に生首をさらす(ププ)
この(ププ)かな。文楽や歌舞伎でおなじみ黒子表現のどこがいけないんだ?
どうやらわたしは怒っているらしい。しばらく黙ろう。
日付Tue Mar 9 11:13:08 2004
925
おなまえ
micmic
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メッセージ
なるほど、傍目八目で傍観するやつのほうが全体状況はよくみえる。分析の基本ではある。
しかし、主体的にイレ込まないやつに音楽や文芸や映画の良さがどれだけわかるかしらね。
あなたはシネマチャンプルーの好きな映画の紹介にどれだけ愛情がこもっているかわかっているかい。
それが悪いといってるんじゃない。それでいいんじゃないの。
仕事じゃ萌えをつっぱしらせるわけにゃいかないでしょう。それはしかたない。それはそれでいいの。
日付Tue Mar 9 10:24:04 2004
924
おなまえ
micmic
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メッセージ
本当に真剣に観てなおかつ良さがわからないなら、それは不幸でしたね。御愁傷様。
広辞苑第五版 おかめ‐はちもく【傍目八目】ヲカ‥
他人の囲碁を傍で見ていると、実際に対局している時よりよく手がよめる
こと。転じて、第三者には、物事の是非、利・不利が当事者以上にわかる
こと。
日付Tue Mar 9 10:13:04 2004
923
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
↓間違えた4行目。
×愛のない批評→○愛のある批評
日付Tue Mar 9 09:30:09 2004
922
おなまえ
とだおっとせい
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メッセージ
自分もわからないのに人のことわかるわかるわけない
掘り下げて語るべき相手はあなた自身さ
後出しジャンケンするな オカモチのハエにはなるな
愛のない批評でなければじーんと来ないぜ
感動はどこからやってくる 幸せはどこにある
本当の評論ならば あなたの歌が聞こえてくるはず
もう人のことはいいから 自分の心を歌えよ
批評家は何を生み出しているのでしょうか
早川義夫『批評家は何を生み出しているのでしょうか』
俺は映画にはそれほど執着がないので、小麦さんの映画評がどういうものなのかはわかりませんが、批評一般について言えば、面白いと思えなかった作品についても「プロ」としてコメントしなくてはならないのは大変だと思います。その作品が面白くない、価値がない、と感じたときは、素通りしてもいいけれど、なぜ自分にとって面白くないのか、ということを語ってもらった方が読み手としては面白いかな。公平とか客観的とか言う視点よりも。
悪口・罵倒はちょっと違うな。あれは愛の一形態だ。その意味では俺はいまだにさだまさしを愛しているのかもしれない。
横から失礼しました。
日付Tue Mar 9 09:29:08 2004
921
おなまえ
小麦
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メッセージ
micmicさま
イノセンスだけじゃなくて、ほかの映画でも(取り立ててラストシーンにすごい意味を見ちゃったもの以外は)、私のストーリー紹介は途中までです。
公開前にアップするなら、最終的なネタバレはできるだけ避けるのがマナーだと思ってそうしています。
だから、別にストーリーを発端で終わらせているからといって、最後まで真剣に見ていないという証左にはなりませんよ。
その作品への評価が違うからと言って、「お前は真剣に見ていない」と決め付けるのは、岡目八目。
日付Tue Mar 9 08:41:30 2004
920
おなまえ
micmic
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メッセージ
ところでわれわれが見たところセクサロイドの殺人事件はこのストーリーの発端にすぎないのだが、あなたの評のストーリー紹介にはここしかなかったのだが。ほんとに最後まで真剣に見たかい。
途中で押井の蘊蓄にあきあきしてみてたかい。
つまんなくて、最後まで集中できない映画だっていうかい。
読むのに気力を要する本がある。軽く読める本もある。
気力を要する本は読者に気力を要求するからプロの仕事じゃないかい。
日付Tue Mar 9 08:22:59 2004
919
おなまえ
micmic
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メッセージ
身銭じたいはもちろんもののたとえだ。身銭を切って見にいくやつは尋常の集中力でなく映画をみる。万難を排して見にいく。それに負けないくらいの真剣さで見たというのなら問題はない。
差別の問題や社会問題はわたしの趣味がどうとか、好きだの嫌いだのは少なくともタテマエ上は関係がない。それは公正あるいは公平の範疇に属することだから。
ここにアーティストがいる。アーティストは表現活動をする。アーティストの表現を感動と共に受けとる客がいる。客は身銭を切ってアーティストの表現を受けとり、あるいは只で受けとり、あるいはその感動を再び表現するかもしれない。
不幸にして、アーティストの表現に感動を得ないものは素通りすればよい。そこは趣味の世界だから。
レコード評や書評や映画評は評者の名前が冠せられる。それは評そのものが評者の文芸活動であって、何か先験的な巧拙だとか技量だとか単一の序列に属するものとは違うことによる。評者の視点の鋭さや知識の深さはその正当性を担保するものかな。それとも文芸表現そのものの一端かな。個人的な好みが前面に出た評は存在価値がないかな。
それとも評者の学説かね?なら検証方法とその可能性はどうするね。ま、学説のほうはやりたいやつがいれば勝手にやればよい。
もし評も評せられる側も表現活動であるならば、そこは社会正義の世界ではなく嗜好の世界じゃないか。そこで肝腎なものは作品への愛か、どこか抽象的な公平か。
あなたはプロだ。プロがプロであることを支えるものは身銭を切るファンかな、身銭も切らずに公正かつ公平な評価をしてくださる評者かな。
ところでわたしはシネマチャンプルーのファンでもあるが、それが面白いのはその公平さではなくて、その好きな映画への偏愛のゆえだったりする。当該作品への愛情のない書評とか、レコード評とか、映画評とか面白いかい?
その通りまさに愛だよ。
日付Tue Mar 9 08:06:07 2004
918
おなまえ
小麦
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メッセージ
それと、身銭を切る、切らない、というのが、必ずしも評の公平性の担保にならないことぐらいは、わかってるでしょ?
見るときに、身銭を切ったかどうかより、評を書くことで、プロモーターとの間に金銭関係(バーター)が派生するかどうかのほうが、公平性を左右すると、私は思いますけど。
網羅的に見ることを職業にしている人と、一本の映画を何度も見るけれど間口が狭い人の評価はおのずから異なります。しかし、これは必ずしも網羅的に見る人の評があてにならないということではない。一本の映画を何度も見てその映画については詳しい人は往々にして、ほかにもっとよい映画を知らないから、一本の映画に拘泥して絶賛しているだけだったりもします。
micmicって、押井守のことになると、理屈がめちゃくちゃになるんだなあ。愛だよね(苦笑)。
日付Tue Mar 9 01:36:26 2004
917
おなまえ
小麦
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メッセージ
はっきりいえることは、何度も見ることを観客に要求するような監督はプロではない、ということです。身銭を切るのは、ファンの勝手。でも、最初からどんな観客に対してでも、「1度ではわからないから2度見てください」と「商売」の理屈を押し付けるのは、クリエイターとしてどうなのよ、と思いますよ。最近こういう監督が増えていて、私なんざ、その映画がどんな出来であれ、「2度、3度と見てくれなくちゃわからない」と監督が言った時点で、興味が半減します。
くれぐれも言っとくと、好きだからなんべんも見てしまうというのは観客に内在するエネルギーの結晶であって、監督に強制される筋合いのものではない、ということです。
プロなら原則、一回でわかるものを作るべきだ。
日付Tue Mar 9 01:15:20 2004
916
おなまえ
みくみくバカポエム
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メッセージ
ある映画が好きとかある監督が好き、ということ。
好きな歌手がありますか。好きなCDはありますか。そのCDはもう何度も何百回も聞きこんでつぎの曲のイントロもベース進行も歌詞も聞かなくったってわかる。それでもまた聞いて幸せになれるような。
好きな著者はありますか。好きな本はありますか。その本はもう何度も読んで読みこんでつぎのページに何が書いてあるかも、その次のページに何が書いてあるかも読まなくてもわかる。それでもまた読んで幸せになれるような。
そんなふうに身銭を切ってビデオをLDをDVDを何度も見て映画館に行ってそれでもまだ見たいってことなんだよな。たかだか一遍しか目を通してないヤツのしたり顔の比較論なんかクソ喰らえ。
「身銭を切らない本の書評は書かない」と断言したのは朝日新聞の書評欄を担当した山形氏だが、身銭を切らないやつの罵詈雑言なんか信用しないという気持はよくわかる。
なんちゃって。
日付Mon Mar 8 22:36:48 2004