目に映るもの全てがモノクロに見えるようになったのはいつからだったろう。
2001年、4月3日、私は初めて監獄に入った。
そう、精神病院という監獄に、、、
そこには、ボロボロに破れた羽を持った天使たちが集まっていた。
監獄で見るもの、おこることの全てが私にとって初めてのことばかりだった。
本当に様々な人がいた。
うつ病、境界性人格障害、分裂病、摂食障害、etc…
生活保護を受けている私は、一般病棟には入れてもらえなかった。
2病棟、そこは閉鎖病棟だった。
窓を開けてベランダに出ても、鉄の檻が邪魔をして外の世界はまるで、ブラウンカンを通して見るテレビのようだった。
まさにカゴの中の鳥だった。
決して開くことのないカゴ。
とぎれとぎれに見える青い空は
本当にせつなかった。
「看護婦さーん、看護婦さーん、看護婦さーん!」
夜、10時消灯。
皆が寝静まった頃、保護室(布団とトイレだけがある小さな一人部屋。そして常に鍵が掛けられている部屋。)から聞こえてくる叫び声。
それは、ゆうに1時間は続く。
病院では他の人のように睡眠薬をもらえなかった私は、入院中ほとんど一睡も出来ない日々が続いた。
だから、その決まって聞こえてくる切ない声に
私は耐えられず、耳をふさいでいた。
看護婦はもう慣れているのだろう。完全に無視していた。
夜には、手・足・胴を拘束される人が多くいる。(日中も常に拘束されている人もいる。)
リストカットをする人、徘徊する人、暴れる人などを動けなくするための拘束。
その人達はトイレに行けないので、おむつをさせられていた。
寝返りもうてない拘束…
「看護婦さーん、看護婦さーん!」
また聞こえてきた。
今度は違う部屋からだ。
「なんだよ!うるせーなー」
いつまでもやまない叫びに、そう言って看護婦はやって来る。
「なんでこんなに強く縛るんだよー。痛いんだよー。ほどいてくれよー。」
「駄目だよ!何言ってんだ。おとなしくしろ!」
そう言い残して看護婦はさって行く…
こんなやりとりが毎日のように続いていた。
妄想と一晩中闘っている人もいる。
「バカヤロー!あっち行け!何しに来たんだ!
死ね、死ね、死ね…」
寝言で、
「E先生、ごめんなさい。ごめんなさい…」
と、ひたすら誤っている人もいた。
いきなり笑いだす人も、いきなり泣き出す人もいる。
怖かった。
本当に怖かった。
真っ暗な闇の中で繰り広げられる数々の出来事が、私には初めてのことばかりで、本当の意味で気が狂いそうになった。
なぜ自分はこんな所にいるのだろうと泣きあかした夜もあった。
とにかくいい子にしていようと思った。
看護婦には何があっても絶対に逆らわない…
たとえ、それがどんなに理不尽なことであっても…
まずい食事も全部食べ、食欲のない日も無理矢理全て食べた。
いい子だと思われるように…
そして、監獄から一日でも早く脱出出来るように…
明け方、空がうっすらと明るくなる頃、私はやっと眠りにつく。
そう、悪夢と共に…
午前5時頃になると起きる人もでてくる。
6時、全員起床。私は、5時から1時間程の睡眠をとった後、活動を開始する。
本来ならば、食後に飲まなければならない薬を看護婦の都合上、6時半、食事前に無理矢理飲まされる。
看護婦がそれぞれの薬の入ったワゴンで病棟内をまわる。
患者はコップに水をくみ、看護婦の所へ行き、口を開け、薬を入れてもらう。
そして、ちゃんと飲んだか口をもう一度開けさせられて確認。
午前7時。
朝食。
一人ずつ自分の名前の書かれたプレートにある食事を取りにいく。
そして、「早く食べろ!私語はするな!」と急かされながら、約20分間の慌ただしい食事は終わる。
食事中も抑制されている人がいる。
足首を椅子の足にくくりつけられているのだ。
胴を拘束されている人もいた。
その人達は看護婦がほどいてくれるまでそこから動くことは出来ない。
ある時などは、
泣きながら椅子をひきずりつつ歩いてる人もいた。
なんとも切ない泣き声で、耳をふさぎたくなるほどだった。
2001/12/09