ayya #9 スターリンと言語と民族

  東西冷戦終わってみれば民族問題が噴出である。いわゆる社会主義国家はこの問題を隠蔽、抑圧していたのか昇華していたのか、おそらくその両方なんだろうけれど。

  私が大学にいた頃は、なんでもかんでもレーニンは○でスターリンは×といった雰囲気がまだ生き残っていた。けれども少くとも民族問題に関するかぎり、支配民族であるロシア人のレーニンには見えないけれど、グルジア人のスターリンにはよくわかることがあったんだろう。

  大学教育まで母語でうけられる民族は日英米独仏中露の中のマジョリティくらいでおわってしまうんだよなあ。民族によっちゃ、学校で文字は習うけれど、その文字と言葉は日常では使わなくて学校でだけつかう言葉だったりするワケだ。それでノートか石板をとり、名前を書き、だけどそれが読めるのは学校の先生だけ。ふだん考えたり話したりする言葉は使えない。

  スターリンは「言葉の壁」と「民族差別の壁」に閉ざされながら、それを踏みこえて、思想を深め、地位を築いたわけだ。タイヘンだったろうねえ。


  マルクス主義は社会の発展の普遍性を、おそらく、言語的思考の普遍性にも結びつけるだろう。このような普遍主義から出てくるのは、必然的に進んだ言語と、遅れた言語という認識を当然のこととして生むであろう。

  そうすると、おくれた民族、エンゲルスのことばを使えば「歴史なき民族」は歴史の発展の過程でその存在をやめ、「歴史を担う」大民族の中に合流し、融合するはずである。じじつ、世界史は、その黎明期から今日まで、たえまなく、この過程をおしすすめてきた。したがって、そのような「くずとなった民族」とともに、その言語を消し去ることによって、文明語を発展の武器として使うことができるようになる。

こうした認識からすれば、民族語の保護はあくまで過渡的な措置であり、いずれは消滅しなければならない。しかしスターリンは、この点においては西欧マルクス主義者とは全く異なっていた。この1913年論文の次の個所は特に注目すべきであろう。

  自由な移転の制限、選挙権の取上げ、言語の圧迫、学校の縮小、その他の圧迫手段は、ブルジョアジー以上でないとしても、それにおとらず労働者をいからせる。このような状態は、従属民族のプロレタリアートの精神能力が自由に発展するのをさまたげうるだけである。集会や演説会で母語をつかうことがゆるされず、学校が彼らに対してとざされているとすれば、タタール人だってユダヤ人だって、労働者の精神的才能の完全な発展などということをまじめに論ずることはできない。

前半の、「いからせる」までは、政策にかかわるだけで、言語の本質にふれるものではない。しかし後半部においては、母語の使用がなければ「精神的能力」や「精神的才能」の発展が期待できないとしているところは、極めて本質的で核心にふれている。いったい、スターリン以前のマルクス主義者で、このような経験と洞察に満ちた言語観を示した者がいるだろうか。エンゲルスならば、きっと、かれらの、おくれた、ひん曲がった母語を、立派な文明語でとりかえなければ、民族の未来はないと言ったはずであり、げんにオットー・バウアーは、「イディシュで教える、ユダヤ人学校に学ぶ子供の頭の中にはどんな思想が宿るだろうか」と言ったのである。バウアーはイディシュのことを、「腐ったドイツ語」(verderbenes Deutsch)と呼んだ。ところが、スターリンは、ユダヤ人の母語の教育までも「精神的能力の自由な発展」のために必要だとださえ述べているのである。
 
  当時、バイリングァル教育の中でたとえ外国語の獲得が目ざす目的であるとしても、その十分な獲得は、母語の土台があって可能になるのだ、母語の教育をおこたってはならない――というような議論があった。これは今日の日本でも、子供に早期の英語教育をあせる教育ママたちをたしなめるための、いささか民族主義的トーンを帯びたことばとして利用されているが、スターリンは少数民族の権利の主張の中で、母語の権利を必須のものとして認めていたということができる。このことは、政策面から、もう一度次のように強調されている。

少数民族は、民族結合体のないことに不満なのではなく、母語を使う権利がないことに不満なのである。彼らに母語を使わせよ、――そうすれば不満はひとりでになくなるであろう。

少数民族は、人為的な結合体のないことに不満なのではなく、自分自身の学校をもたないことに不満なのである。彼らにその学校を与えよ、――そうすれば、不満はあらゆる根底をうしなうであろう。

  この母語とそれを教える学校を保証する、それが民族の解放につながるという考え方を、スターリンは一度もとりさげなかっただけでなく、1920年代に入っては、それがソヴィエトの民族政策の顕著な特徴になったのである。

     [田中克彦『「スターリン言語学」精読』岩波書店]


2003年1月29日追記。

ロシア人のレーニン

レーニンは果してロシア人といえるのかという指摘がありました。 http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/46/shiokawa/shiokawa-chu.html#20 によれば

「レーニン自身は、エスニックにはカルムィク人、ドイツ人、スウェーデン人、ユ ダヤ人などの混血であり、ロシア人の血をどれだけ引いているかは不明だが、生ま れたときより当然の如くにロシア語を母語としていた。そのような彼自身の経験が 、諸民族の自然な接近・融合、そしてロシア語の自然な普及と共通語化という展望 の背後にあったのかもしれない。」

というわけで血統という意味では混血ですが、母語という点ではロシア人、ここでは母語で学校で勉強できる。数学や外国語、歴史や自然科学、社会科学を母語で学習できるという意味あいではまぎれもなくロシア人ということになります。そのレーニンがそれができない人の立場をどれだけ理解できたかというと同じ田中克彦『言語からみた民族と国家』(岩波同時代ライブラリー)によれば。

前略--「だが、他方では、右のような一見、疑問の余地のないほど明快な「自決」の保障には重大な留保条件がついていることを、公平のために見落としてはならない。この点を見過すならば、「民族自決」のレーニン的原則と言われるものと、ソビエトが、内外の民族に対して行ってきた一連の行政的対応との関連がほとんどつかめなくなってしまうからである。すなわち、1903年の日付をもつレーニンの論文には、「民族の自決ではなく、各民族内のプロレタリアートの自決」が問題なのであるから「プロレタリアートの階級的闘争の利益に民族自決の要求を従属させなければならない」(「われわれの綱領における民族問題」)という主張がとどめられている。ここから引出される結論とは「連邦主義および民族自治を宣伝することはプロレタリアートのなすべきことではない」(「アルメニア社会民主主義者の宣言について」)ということになる--後略。

レーニンの主観的にはどうだったかわかりませんが、客観的にはこれでは社会主義革命に役に立つかぎりで民族問題というものが問題となっている、といわざるをえません。こういう態度は利用主義とでもいうのがふさわしい。ただし、引用文献は1903年でロシア革命をさかのぼること14年レーニン33歳のはなしであります。ではロシア革命時のレーニンがどういう行動をとったかというと、例えばユダヤ人の労働者組織であるブンドを退治しています。ブンドの退治そのものは民族としてのユダヤ人を葬る必要があったわけではなくて、彼らがレーニンの進める中央集権的大国家の建設に対して分離主義的な行動をとったゆえに叩き潰したわけです。しかし、その自決権を否定し、叩き潰すにあたってはユダヤ人が民族である、ということすら否定する徹底ぶりです。

レーニンは言う、「民族はそこで、それが発展してきた地域をもたなければならない。つぎに、すくなくとも現代では、世界連盟がまだこの土台をひろげないあいだは、民族は共通の言語をもたなければならない。ユダヤ人はすでに地域も共通の言語ももっていない。」(「党内におけるブンドの地位」25)ここに見るかぎりでは民族の規定としては、まず最初に地域の共有が、第二に言語の共有が挙げられている

--中略--

ただここでつけ加えておきたいのは、民族から言語を奪うことは容易ではないが、居住地域を奪って分散させ、あるいは逆にそれに地域を与えて集中させるなどの措置は、行政的強権に訴えれば必ずしも不可能ではないという事実である。

田中克彦『言語からみた民族と国家』(岩波同時代ライブラリー)
かくて、ソビエトでは中央政府と対立した民族は共和国をとりあげられ、民族離散をさせられるのでした。とはいうものの彼の根本的な民族問題への思想は「接近と融合」です。これでは、民族というものを解消して、世界市民へと普遍化しようという発想を必然的にもってしまいそうです。まさにこの言葉こそ彼の民族問題への根本的な不理解を象徴しているといえましょう。

わたしは近年のアメリカの動向、国際資本の動向を見るにつけやっぱりマルクスが正しかったのかな、という感想をもってしまいます。それだけにマルクスやレーニンのもつ民族問題へのどうしようもなさが惜しくも思われるのでした。


micmicは自分の顔は自分では見えないように、レーニンのおぞましさはレーニンを読んでいるうちはわからないものだと考えておりました。しかし、それはあやまりだったと認めます。つぎの文はhttp://oml.port5.com/1916jan01.html1916年時点での民族問題に関するコメントです。これは凄まじい。このひとは本質的に民族というものを尊重しようという意志がなく、それが自身の理想に貢献可能かどうかだけが問題だったのでしょうか。 レーニン認識を一新したmicmicでした。

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