autobiography # 028 どろぼう

  学生自治会とかサークルあるいは学生劇団などやっていると欠かすことのできないものに立て看というものがある。これはサブロク(三尺×六尺)のベニヤに角材をあてて補強したものであるが、たいていサブロク三枚を横にならべ角材を「目」の字状にとりつけた「三枚張り」をよく使う。特に大きいものが必要な場合は四枚張りをつかうか、これを複数組み合わせて使う。

三枚張りの骨組みの図

┌──┬──┬──┐
│  │  │  │
│  │  │  │
│  │  │  │
└──┴──┴──┘

  わたしはこれを日の当たる庭で作るのが好きで、材料さえくれれば毎日でも作ったにちがいない。高校のころ演劇講習会で大道具がかりで習ってきたものだからついつい習ったワザは使いたいというわけであった。カドのあたりを足で踏んだまま水平に釘を打つのにちょっとしたコツがあったのだが、こういうのは修得すると妙にうれしいものである。

  芝居の書割背景にも使用でき、広告宣伝用途にも使え、バリケードストライキの際のバリケードにも使用できるスグレものである。最後の用途では人間のケリ一つで壊れるから甚だ象徴的バリケードであるけれども、突入命令をうけた警官隊か軍隊でもなければそうそう、ひとさまがつくったバリケードを堂々とは壊さないものである。

  角材とベニヤ三枚であるからそう高いものではないのだが、4枚とか6枚とか使うのでそれなりの出費である。ベニヤに直にではなく、表面に模造紙を張り使い回すのが通常である。便利なものであるから、サークル、劇団、学部自治会、生協、などいろいろな団体が使用する。おおむね、夜間に出すのであるけれど、うら、ないしは表に団体名を書くのが仁義である。こうすることによって所有を主張するわけである。夜じゅう置いておくわけだし、軽いものだから盗ることもできるが、こんど使用するとまるばれである。みんなおたがいさま、悪いことはできません。

  ところがどっこいタチの悪いものは「正義の味方」である。自団体は正義を執行しているとかたく信じている団体があり、ここだけは平気でどろぼうをはたらく。よそのたてかんをどろぼうしてはネームのうえに自分の古いビラを張る。かれらとしては自分たちだけが正義であるから、正義のためには何をしようといいのである。そんなわけで正義の味方はどろぼうはし放題であるし、人は殴り放題である。まあ、それを可能にするだけの武力をもちあわせているからこそなわけだが。

  「社会に不満があるなら、自分を変えろ。それがイヤなら、その目を閉じ、耳を塞いでひとり閉じこもって暮せ。それもイヤなら…」とは『テロリスト』に銃をつきつけた草薙素子(攻殻機動隊stand alone complex)のセリフである。さすが公安九課。正義の味方である。人権もなにもあったものではない。この自分の使命への疑問のなさのみならず人の都合を考えない自己中心さ加減こそ正義の味方の正義の味方たるユエンであろう。怪獣の傷みを理解するウルトラマンコスモスなどには到達しえない境地である。

  ある晩のことである。立看を見てみると見覚えがある。なんだわたしのつくった立看ではないか。しかし、そこには正義の印のステッカーが貼ってある。まったくしょうがねえな。持ってかえってステッカーをひっぺがすことにした。もってかえると世の中にはマジメなひとというのはいるものである。エラく叱られてしまった。

  後輩一号:「馬鹿野郎。とっとと返してこい。正義の味方が無原則なことをしまくっているからって、おれらまで無原則していいわけがないだろう。同レベルの正義の味方に墜ちまうだろうがああ。」

  わたし:「だってこれはもともとぼくが作って…。ごめんなさい。」

  泥棒から泥棒するやつはやっぱり泥棒なのであった。スゴスゴ自分の作った立看を泥棒のところに返しにいくわたしに風の冷たい11月であった。

[前へ] [次へ]
[Home] [目次]

2003/5/28