autobiography # 026 歌はよいね。

  わたしは音痴である。あやしいバンドもどきなどちょろっとやっていたにもかかわらずである。

  音痴というのは症状において二種類あり、音の高低があやしい、音程音痴と拍のわからないリズム音痴があり、わたしの場合、その両方である。さて、音痴には音程が狂っているのはわかるが正しい音程が出せない仮性音痴と音程が狂っていることじたい知覚できない真性の音痴があり、わたしはどうやら前者である。だから楽器を使った耳コピーというやつはそれなりにできる。といってあんまり難しいやつはだめだが。

  で、この仮性音痴は正しいトレーニングを積んで正しい発声と音程比較を繰り返すことによりかなり矯正できるらしい。それやこれやで、先だってよりコールユーブンゲンなど歌っている。うちはアパートなので御近所に迷惑というより恥ずかしいし、いちいちスタジオを借りるのもなんだし、練習でカラオケにいくというのもなんだし、結局クルマの中で歌っている。冬期は車の窓を閉めていることが多いから、まあ良かろう。

  こうして歌いながら運転などしてみると、いまどきは街の人が歌わなくなったのに気がついた。ど根性ガエルの梅さんは鼻歌を口ずさみつつ、アベックをひやかしながら出前をするのであるけれど、自転車やバイクに乗りながら鼻歌や口笛を吹くひとというのはすっかり見なくなった。同様に歩行しながら名調子な人というのも全然みなくなった。ちょっと昔の香港映画やインド映画を見ると会話中にいきなり歌い出すひとというのは結構いて、懐かしい気がする。わたしが子どものころ日常会話の最中に突如フシをつけて喋りはじめる「♪あら、みてたのねぇ〜、みてたのね」などと。もちろん出鱈目なフシのこともあれば、流行歌や民謡の場合もある。なんとミュージカルな日常であったことか。

  わたしの実家は建具屋なので、職人さんが何人もそれぞれの作業をしていたが、ここでも歌いながら仕事するひとというのがいた。わたしはその建具を建売り住宅に納品する手伝いをする機会をたくさんもつこととなったが、ガラス屋さんや左官屋さんも仕事中、鼻歌なのである。それは不真面目ということはなく、作業能率をあげてはいないかもしれないが、すくなくとも仕事に悪影響を及ぼしていたようにはみえない。

  もちろん世界中に労働歌というものはあり、大勢で調子をあわせる場合にも、個々人ごとのペースで作業を進める場合にもそれ相応の歌がある。民謡や伝承歌の相当数は労働歌なのである。その意味で日常に歌がわかちがたく結びついていたわけである。

  しかし、わたしはそういう歌をほとんどもっていない。それゆえ歌わない生活をつづけていたし、いまも続けているわけである。歌を歌うにはあらためて場所と状況を整えなければ歌えない。ライブであったり、カラオケであったり、宴会であったり、歌を歌うためのお膳立てがなければ歌えない。ところがどっこいひとさまには聞かせられない音痴である。うっかりカラオケなんかにいけば、どこからどの音で歌っていいやらわからない。

  当分、愛車がわたしの歌謡スタジオとなるだろう。ギターにキーボードまで備えつけてしまった。運転しながら歌うくらいなことはそれほど迷惑にもなるまいが、運転しながらギターだけは弾かないように気をつけよう。「弾き語り中年ダンプに激突」などということになってはダンプの運ちゃんに申し訳がたたない。

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2003/3/12