autobiography # 017 完全無欠のがんばれ

  1980年代のヒットコミックにめぞん一刻というのがあり、ヒロインの響子さんが両手を構えて「がんばってくださいね。」というとヒーロー五代くんはイヤが上にも頑張り過ぎてしまい、かならずやヘマをするのである。そうして、響子さんの期待に応えられなくてイジける五代くんのことをそれゆえにますます愛してしまう響子さんなのであった。

  このダメな人々の間をとりもつものこそ「がんばってくださいね」なのであった。当時バレーボールワールドカップなどがあり「がんばれ日本」などという標語まであった。おおむねこのセリフがでると「がんばったんだけどねェ」とつづくことになっているのだが。でもがんばった君には参加賞の白いギターとジーンズがでることになっていた。

  1980年に中学生をやっていたわたしは柔道部などに在籍してたりして、あんまり強くないもんだからBチームでいちおうインターハイの予戦なんかに出たりしていた。これが野球部かサッカー部あたりだとチアリーダ部の女子の人なんかがバトンなんかくるくる回してミニカート飜して「ファイト××くん」なんてことになるのだけれど、そこは柔道部であるから角刈りの後輩なんかがダミ声で「先輩、頑張ってください!」である。当然ながら気合いが抜けて上四方固めをくらって初戦敗退した。反省会でナミダ流して喰ったショッぱい素うどんの味。これがわたしの「がんばれ」の原体験となっている。

  しかしこの15年ほど「がんばれ」には人気がない。「わたしは頑張れというのもいわれるのもキライである」といった言辞があふれ、うっかり「がんばれ」などいおうものなら「アンタなんかに、ンなこたあ言われたくないね。」である。おおむね、ものごとがうまくいっていて、自信のあるひとに「がんばってくださいね」といっても「ありがとう、ガンバります。」または「がんばってまっか?」「まあ、ボチボチですわ」でことはすむ。が、ものごとがうまくいかずに気分のふさいでいるひとにうっかり「がんばってくださいね」などといおうものなら「やかましい、がんばれネエから悩んでるンダよ」ってことにになってしまうのであった。ただの社交辞令なんだからテキトーに聞き流してくれりゃいいのに。そこは万事うまくいってない人は心が狭くなっているものである。しかし、相手の怒りを買う社交辞令ならヤめておいたほうがいいのもこれまた道理である。

  ま、「がんばれ」というほうは一声はかけてもそれ以上に実益になるような何かをしてくれることは稀であるから役には立たないひとこえではある。クチは出してもカネは出さないというのが基本である。そんなわけで「がんばれ」というのは「がんばってくださいね、アタシはお役にたてませんけど」という深い諦念のこもった一声なのであった。職場の同僚や上司からワルダクミのお誘いをうけたときはやはり「がんばってください」である。わたしはそれはちょっとパスかなあってかんじである。とはいえ子供のできない夫婦に「がんばってくださいね」というのはまさにひとがんばりを期待しているわけだが、ここで「おてつだい」などしてはハナシがややこしくなること必定である。かくして、万人の憎悪と憤激を一身に集中したあわれな「がんばれ」である。

  世の中の変化ということはあるかもしれない。がんばることがあたりまえで、がんばっているということが「晩御飯食べた?」くらいの意味しかなければ、あっさり聞き流してももらえようが、「がんばる?何で?何のために?」というリラックス第一主義であればうっかり「がんばれ」とはいえなくなろうものではある。例の「モーレツ」社会から「やさしさ・心のケア」社会への変化であろうか。なんだか背筋のムズガユいものがある。ところが現実の人間から「がんばれ」と聞くことは実はあまりなくても、テレビや雑誌の向こうからの「がんばれ」はやはりあふれかえっているような気もする。じゃりんこチエでは通信簿に「がんばろう」という項目があり、これをもらうと子供も親も機嫌が悪い。連合あたりのシュプレヒコールの「団結がんばろう」というのもなんだかムズガユいものがある。

  とはいえ、スタンドからスポーツ観戦などする場合。これはいまでも「頑張れ」でよい。応援の符号でしかないことは明らかであるし、客が声をかける以上の実益のあること、例えばホームランを団扇で仰いでグラウンドにかえすとか、敵方の選手にここ一番で「あ、UFO」などというとか、をすればこれは困った事態といわざるをえない。当然精神的にだけ連帯し、具体的な行動は何もしないのである。まさに「がんばれ 」の主要な仕事場だということができるであろう。

  ところでここでわたしの記憶にある最強の「がんばれ」を紹介したい。

  それは高校二年になりたてころであった。新年度は健康診断と身体測定がいっしょにあって、用紙をもって保健室だの体育館だのいったりきたりするのである。あれこれ計って教室にもどると新しいクラスメイトの吹奏楽部員の女子の人(仮称I)が自分の記録用紙をまじまじと覗きこんでいる。その背後からやはり新しいクラスメイトで吹奏楽部員の男子の人(仮称M)がそっと歩み寄り、ささと用紙を取りあげて、
「何、胸囲73cm?ガンバレ!」と叫んだのである。

  みるみる彼女の怒髪天を衝き
「いったいどうやってガンバんのよお」と絶叫しつつ、Mをシバき倒すのであった。
うんまったくである。完膚なきまでにシバき倒されたMであった。

  後年じつはガンバりようはあることに気付いた。ひとつは大胸筋のトレーニングであり、これは彼女がそのときチョップ・アンド・パンチで実践していたともいえる。さらに全身の皮下脂肪を増強するという方法も効果があるらしい。これについては彼女は放課後のおやつによって日々実践していたようである。ただし、吹奏楽のハードなトレーニングによって相殺されていた可能性は否定できない。もうひとつは、ブルース・リーでおなじみシリコン埋め込み手術であるが、これは不明である。というわけで彼女はすでにめいっぱいがんばっていたのだった。

  やはり無責任に「がんばれ」などと騒ぐやつには天誅の鉄槌を喰らわしてさしあげるのが作法であろうか。

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2002/5/9