autobiography # 011 昆布後日譚。

  さてこのところ食べ物の噺ばかりで恐縮であるが、忘年会の鍋に投入される豪華昆布はそれとして、そんなに昆布がうまいなら毎日でも喰えるではないかということに気が付いた。そう、日本人ならお香香とお味噌汁、お吸物のたぐいは毎日食べるものである。そうなるとだしとして鰹節、煮干、昆布などが投入されるわけで、その他煮物を作っても、天麩羅を作っても、麺類を作ってもどのみち安直に登場してしまうのがだしがらの鰹節、煮干、干椎茸、昆布である。

  根気があれば佃煮なんぞにしても美味である。昆布巻にすれば御馳走の称号もユメではない。醤油、胡麻油なんぞで炒ってもオツな一品である。さはさりながら、何もしなくても結構いい味である。実際のところそのまんま具と看倣して食ってしまっているのが現状である。実は昆布のランクに贅沢をいわなければ、既にして毎日のようにいただいていたわけである。

  それはよい。よい。何も問題はない。喰おうが、捨てようが、別の料理にしようがお家の事情である。勝手である。とはいえ、捨てるとモッタイナイオバケが出そうでちょっと恐い。けれども、18のときに家を出るまで、この昆布の楽しみを、実家の稼業である零細企業の忘年会まで年に一度しか味わえなかったのはどうしたわけだ。毎日の御飯の昆布は、鰹節は、炒子はどこへ行ってしまったのか。おかげでいまやすっかり昆布中毒のように昆布に執着してしまっている。もはや単なる嗜好の領域を出て、ほとんど拘泥りの領域に踏み込んでしまっているではないか。

  先日実家へ電話した際に積年の疑惑は一気に晴れたのであった。

「そうそう、ダシとったあとの昆布っておいしいわなあ。」
「最近は貯めこんで佃煮にしてるの。若い時はダシとった後から、ポン酢で食べてしまったんやけどね。すっかり食が細くなってしまって…。」
「……。(愕然とする。)」

  なんと彼女はダシ昆布も煮干もダシをとった直後に密に食ってしまっていたのだった。冷蔵庫の手前の取り出し易い位置に常にポン酢醤油が秘蔵されていたのにはこのような陰謀が隠されていたのである。

  すべてはこの母のせいであったのだ。彼女がダシ昆布を独り占めにしたばかりにわたしたちは昆布に対して異様なまでの執念を燃やすようになってしまったのだ。この心の奥に深く刻みつけられた昆布トラウマはもはや一生癒えることはないだろう。

  しかし、鬼のような母は自らの犯した罪にいまだ気付いてはいない。

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 2001/12/25