autobiography #5 コーヒーにはちょっといいたいことがある。

  コーヒー一杯に300円400円とはたく喫茶は贅沢なものであるけれど、裕福な人がいくところかというとそうとは限らない。実家の両親は仕事がすむと二人して喫茶店でおデートである。はや、70にもなろうとするけれどそれが何十年来の習慣なのでしょうがない。けれどもウィーンやロンドンの労働者などもよくいってたらしい。また私はしばらく大阪、釜ケ崎あたりをブラブラしていたが喫茶店がすごく多くて、どの店もえらく繁盛していた。金持ちなわけでなくむしろその逆である。狭いドヤの部屋やベッドなどではくつろげないのである。ないし、なじみの喫茶が集会所ないし談話クラブとなっているのである。ドヤでなくても、家族がひしめいていたり、せまくるしかったり、暑くるしかったり、ようするに喫茶店はただコーヒーを売っているのでなくて席を売っているわけである。したがって、快適な家をもつ富裕層より、むしろ貧民のほうがなけなしの金をはたいて足繁く喫茶通いをすることになる。

  さて、かくのごとき両親のタタリでわたしもやたらに喫茶店に散財するクセがついている。 まだ京都に住んでいた頃には出町柳の「カミヤ」、錦の「キノシタ」、大徳寺前の「ヨシダヤ」などよくいく店があり、この3件はコーヒーの味、店の雰囲気ともによろしい。なかでも「ヨシダヤ」には招き猫のごとくカウンタにはりついている爺いがおり、例の如く蝶ネクタイにチョッキのモボ爺いである。ニカーとスマイルで「いらっしゃいませ〜」。これが招き猫そのものの顔付きなのである。三軒となりの輸入食品屋でスマトラマンデリンを買ったあと必ずここでストロングを頂くのが巡回コースであった。濃いい味が沁みわたる。贅沢な時間を過しているという幸福感に満ちた店であった。 もう一件は烏丸紫明の「陽」である。向いの至誠堂で洋書を買ったあとは寄らねばならない。コーヒーの味はそれほどでもないし、爺いもいないが入口のにおいてあるコントラバスとサックスが訳もなくゆかしい。ここも雰囲気が売りなのだが夕方になって混んでくるとダメである。

  札幌に来てからは困ったことに最もいく店はロイヤルホストである。

  あのロイヤルホストである。なんだか情無いものがあるがしょうがない。札幌にはよい雰囲気のよい喫茶店がない。どこもメシ屋のついでにコーヒーもやってるかんじで、なんだかあわただしくていかん。これが網走とか稚内、苫小牧となるとそれなりの店があるのだが。コーヒーの味はともかく札幌・麻生のロイヤルホストの禁煙席はなんだか空いているのでゆっくり本読むのに適しているのである。近頃、味で名高いスターバックスもあるがプラスチックのカップがいかん。どうも、紙や樹脂の使い捨てカップはそれだけでなんだか許せぬ。じゃあ、陶器カップなら、ドトールでもミスドでもいいのかというといいような気がする。ただ慌ただしい店舗が多いのでそれはパス。

  タマにしかいかないし混んでいることも多いがおやつならば ユーハイムである。95年の阪神大震災のおり元町の店舗を整理していたら初代のころのバウムクーヘンのレシピがでてきたということでそれを再現して、デア・バウムクーヘンと銘うって売りだしている。これがうまい。高級ではないが微妙にバランスがとれていてとてもよろしい。外売りとコーヒーとのセットメニューがあり、後者は¥500である。旭屋で本を買い読みつつ頂くならば「至福の午後」しめて1000円である。

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