autobiography #3 色恋沙汰のことなど

  高校生などやっている頃のことである。友達のうちで麻雀を打っていると、唐突に「友達の友達」なる女の人が現れていうことに私とおつきあいしたい女の人がいるのでどうするかという。2つ隣のクラスのHさんだという。

  あまりのことに見逃してしまった。ロン牌をである。焦って「栄和」と宣言したら次の捨牌が済んでいたためチョンボとなった。ハネ満であったから+12000 が-8000 となり差し引き20000点の損失である。にもかかわらず、「儲けた」と思ったのだから若さとは恐しいものである。さて彼女の名前にはトンと覚えはないが、なんといっても私に好意を抱くとは物数寄ではないか、もといイジらしいじゃありませんか。惚れられるほうはトンと経験がないが惚れっぽさには自信がある。クラスの女の子のほぼ全員を大好きである。これは大丈夫に違いない。彼女はきっと日本一素敵な女の子にちがいない。なんといっても物数寄だ。こんな物数寄にはもう一生出会えないかもしれない。とりあえずおデートのお約束をとりつけておいた。

  さて、おデートである。

  げ、もう待ってる。うう、この子かな、なんか見覚えあるような気もする。ここは一番アイマイな挨拶で様子をみよう。
「や。」
う、マチガイか?
「…ほんっとにあたしでいいの?」
う、この『いいの』はどっちの『いいの』なんだあ。
「とりあえず、そこら歩こか」
「うん」
あ、いま『うん』のうしろに、ハート・マークが出てたような。よし完璧だ。
------------------ 中略 ----------------------------

  そこいらへんを5,6kmばかりホッツき歩き、コーヒーの一杯も飲み、かねてからの疑問を尋いてみる。
「わしのドコが良かったの?」
ポと頬を赤らめて、うつむきつつ、
「優しいトコ」

うむ、そうきたか。この当時はオフコースとかさだまさしとかそういうのが流行であり、『優しい』というのはキーワードであった。要するに本人にもよく判らないとそういうことに違いない。ま。そんなモンであろう。が、そのときである。

「あなたはわたしのドコを好きになったの?」
なんか、えらくウレしそうな表情である。
およよ。そんなこと言っても顔と名前が一致したのはついさっきだし。ここは伝家の宝刀を抜くしかない。「優しい」に対抗するワザは「カワイイ」しかない。「やさしい」のもつエタイのしれない精神性をうち負かす「かわいい」の圧倒的即物性。内面に対しては外面、陰には陽。ここにこそ中国4000年の叡知が結実している。それに私とて「優しい人ね。」といわれるくらいなら、ワルいお姐さんに「可愛い坊や」とこそ呼ばれてみたい。それでこそ健全な青少年てモンである。

「今日あってみたらね。とってもカワイイ子だったの。」
「え″?」
「いや、だからどんな子かなって思ってて…」
一天俄にかき曇る表情。
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  彼女の思想によると、愛情の告白に対する承諾は事前の愛情が大前提なのだそうである。つまり、相思相愛状態であることが前提なのだそうである。『ウマイ話だ、いただきます』というのは非常に失礼なのだそうである。大層お怒りになって、このあとまるきり口も利いてもらえなくなってしまいましたとさ。クスンクスン。

 
  自らの不明のために虚しく滅び去っていった私の過ちを繰り返さないために、新しい世代の男の子諸君には覚えておいて欲しいものである。 TVドラマ、少女マンガ、コバルト文庫、及び、手紙実用辞典等々には目を通し、 日々の研鑽 を積むことが 不測の事態を回避するためには 不可欠である。 勉強になりました。

 

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