きみたち女の子ぼくたち男の子ヘイヘイに関する御意見

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おなまえ
小麦
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メッセージ
「男の子」話でも、私の掲示板の議論でも思ったんだけど、micmicは、実体験を持って、いわゆる「一般論」の幻想性を暴くような論の立て方を得意としているようだけど、それ、ちょっとズルいんじゃない(笑)。
あなたの実体験がベーシックや平均値である保障はないわけで、言い方は悪いが、ごく一部の人の善行を持って、現実に存在する差別や抑圧をエクスキューズしてしまう恐れもあるじゃん。(というか、その危険性の方がでかいぞ)
ま、そういうことも自覚して、やっておられるようだから、いいんですけど。
今年もよろしく。


日付Wed Jan 7 11:27:01 2004


854
おなまえ
micmic
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メッセージ
あらま。すいません。すくなくともそれほど大したとも思われぬ行動で『現実の男はこんなに「待って」くれないのだ。』とか、『非現実的』とかいわれてしまうと、ついついね。勿論わたしが現実に見たり聞いたりした範囲は限られたもので、統計や報告で蛮行のかぎりが存在することは否定する気はまるきりないのですが。

しかし、「むずかる女を張り倒していうことを聞かせる」という光景は本で読み、映画でみるほどには現実にはみたことないす。ま、密室でおきるケースが多いだろうから、現実に見ないのもあたりまえではあります。

男の子問題のほうはかなり本気で近代的企業組織からおばさん・おばあさんが排除されるようになったことは企業の雰囲気や体質を変える結果になったと思うよお。前近代には武家社会こそ男社会だったけれども、商家や工業はかならずしもそうじゃなかったんだから。
もちろん女のひとのほうが女のひとに対してキビしい一面もあったりするから、あるいは娘さんにはそっちのほうがキツいかもしれないけれども。



日付Wed Jan 7 19:19:54 2004


855
おなまえ
micmic
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メッセージ
補足。ようするに小麦さんが指摘した現実は『現実』ではあるかもしれないけれど、それは蛮行として告発されなきゃいけない種類の現実だと思うわけ。ごめん。


日付Wed Jan 7 20:01:02 2004


856
おなまえ
小麦
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メッセージ
そりゃ、告発できる素地が社会に整っていれば、そういう選択肢もまま、ありだろうけどさあ。
あの問題に関して言えば、ピンク映画=男の妄想をあれだけ強力に流布させていた人たちが、今更なんのエクスキューズもなく、「優しい男」を描くこと自体に、「なんだよ、それ」って思っちゃったのだ。で、映画は妄想であって現実ではない、というのも、私の周囲を見てる限りそんなことはありませんなー、という感想しか持てない。(私の周りの男がひどいだけか?)むしろ、映画を見ることで己の妄想を補完しちまってる輩も会社近辺には大勢いるのだ。はっきり言うが、文化庁の寺脇某もその一人だよ。家庭面の取材してると、ほんとに多いよ。子宮がんの手術をした後、妻がセックスを拒んだら、夫がよその女に走ったとかそのたぐいの話。枚挙にいとまがありませんな。その夫いわく「男の性欲には鍵がかけられない」んだと。ふざけんな、とか思いますよ。インタビューしてると。
「ヴァイブレータ」を見て、そうかこんなに優しい男もいるのか、と逆ナンに走ったら、痛い目に遭う確率の方が高いよ、だってこれは「女の妄想」じゃなくて「男の妄想の変形」なんだから、というのが、残念ながら私の見解です。

それから、「男の子」問題に関しては、やっぱりそのレスの書き方はずるいぞ。「おばさん、おばあさん」を排除した人たちの属性(性別)について、言及しないのは、意識的?無意識的?「おばさん、おばあさん」が自発的に社会から身をひいたわけじゃありますまいに。


日付Wed Jan 7 23:03:23 2004


857
おなまえ
micmic
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メッセージ
そうそう、そういうはなしが読みたかったのよ。「それが現実」のひとことじゃあ満足できない。寺脇某のお調子なんかガンガンこきくだしていただきたい。すいません。

やさしい男幻想に関してはそれが少年の側の幻想ないしは摂取対象モデルになるぶんにはいいかもしれないんだけどね。だって殴っていうことを聞かせる映画がガンガン流れてそれが現実と誤解あるいは学習する少年はイヤンイヤン。

さておばあちゃん・おばさんに関しては現在彼女たちを排除する資本主義でございってな企業のありかたがあり、そうでないおばちゃんの企業のありかたもあり、でも排除するほうの企業形態が増殖していくという現状がイヤなんす。その意味でははっきりきっぱり保守反動懐古趣味でございます。

近代的企業から女を排除し、あるいは末端で酷使使い棄て労働力化するこの力は男による女支配といえばそういえるんだが、もっとデモーニッシュななんかヘンなものを感じるのでした。自覚が乏しくてすいません。


日付Thu Jan 8 00:00:44 2004


858
おなまえ
micmic
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メッセージ
ところで、とても気になるのはこれです。
>あなたの実体験がベーシックや平均値である保障はないわけで、言い方は悪いが、ごく
>一部の人の善行を持って、現実に存在する差別や抑圧をエクスキューズしてしまう恐れ
>もある

人にとって現実とはさしあたりその目で見、耳で聞く、身の回りの具体的なそれゆえ個別的な例、であって、二次的にメディアを介した情報があるわけですが、平均値とかベーシックというものは抽象化の結果生じるもので個別的、具体的事実には関係がない。二次現実であるメディアからの情報をもって「ふつう」とか「現実」を措定して、そこから一次現実のほうを「例外的」とか「一部の」とか「ヘン」とか判定したとすれば、それは転倒というものでしょう。
それゆえ、わたしが実体験を語るときベーシックとか平均値は何の関係もない。あくまで事例の一つ以上の意味はない。これで否定されるのは一般命題「すべての××について○○である」だけです。一般命題なら反例ひとつでおわりですから。
ところで本やその他のマスコミを通じて流される「現実」のイメージが生活者であるひとりひとりにどれほど妥当するのかはちょっと興味あります。


日付Thu Jan 8 08:11:12 2004


859
おなまえ
micmic
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メッセージ
ようするに「……が現実」というモノイイが大嫌いなだけだったりして。くすん。

日付Thu Jan 8 08:15:55 2004


860
おなまえ
micmic
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メッセージ
>>実体験を
>>持って、いわゆる「一般論」の幻想性を暴くような論の立て方を得意としているようだ
>>けど、

いま気付いちゃったけど、よく考えると私、どっちのケースでも一遍も一般論の幻想性なんか暴いてないじゃん。そういう現実の存在をそれとして認めたうえで、べつのありかたの可能性はあるし、実在もすることを例示しただけじゃん。

>>それから、「男の子」問題に関しては、やっぱりそのレスの書き方はずるいぞ。「おば
>>さん、おばあさん」を排除した人たちの属性(性別)について、言及しないのは、意識
>>的?無意識的?「おばさん、おばあさん」が自発的に社会から身をひいたわけじゃあり
>>ますまいに。

これは一貫しておばあちゃんが排除されていることが問題だって提起しているんですけど。一遍も自発的に身をひいたかのようなことは書いてはいない。ただし、排除された結果そういう企業が『御家中』のごとき男社会になったわけでそのかぎりで「男が排除した」とはいえるんだけどもそういう問題なのかしらん。かりに男社会になっちまった企業にあのてこのてのツギハギをしてそれで女のひとが働きやすくなるんですか。そりゃやらないよりは百倍いいんだろうけれども。家庭と職場を分離したことそのものに起因する歪があるように思うのですが。




日付Thu Jan 8 11:56:19 2004


861
おなまえ
micmic
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メッセージ
さらにこれですが、
>>映画は妄想であって現実ではない、というのも、
>>私の周囲を見てる限りそんなことはありませんなー

これへの反論でしょうか。
>ピンク映画の女優の行動パターンの現実性と同様でしょう。それがわたしを
>ガックリさせるのは現実の男性の行動を反映しているからではなくて、現実
>の男性のいっぺんやってみたいけど現実にはできない願望を反映しているあ
>たりです。

であれば、よくみていただけるとわかると思いますが、現実の反映ではなく願望の反映のほうがガックリであるとは書いてあるけれど、現実ではないとは一度も書いてないのです。執拗にそういう現実が存在することは否定しないと断っているとおりです。ピンク映画の男優の行動も女優の行動も現実に存在しないとはいわない。ただそれは現実の描写である以上に(男の)イヤったらしい妄想として機能する。そしてその妄想は増殖し、しばしば現実となって発現する。そしていうのです「世の中こんなもんだ」「これが現実だ」。冗談じゃない。そうじゃない生活は可能だし、あたしゃ、そんな現実なんざまっぴら御免だ。


日付Thu Jan 8 15:08:12 2004


862
おなまえ
小麦
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メッセージ
私もあなたが、「現実にそのようなことがあり得る」という可能性を排除していないことは百も承知です。その上で、「でもね」と続けられると、なんか、調子のいいオッサンたちがその尻馬にのって、「やれオレも免責された」と言い出しかねないロジックの立て方だと思い、非常に不快に思いました。
現実に、職場で、「女の子」扱いをしているオヤジたちが、「いや、オレのせいじゃないもんね。歴史的社会的産物としておばさんの排除が起こった結果として、『女の子』という言い方が残っただけだもんね。オレは差別者じゃないもんね」と居直る可能性については、micmicは全然考えなかったわけ?
もっと、言っちゃえば、私はあなたの書き込みの中に、「オンナ問題をよくわかっているふりをしながらオトコ全体を免責する意思」をしばしば、感じるのだが、それは深読みのしすぎ?

日付Thu Jan 8 16:59:26 2004


863
おなまえ
小麦
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メッセージ
>これは一貫しておばあちゃんが排除されていることが問題だって提起しているんですけど。一遍も自発的に身をひいたかのようなことは書いてはいない。ただし、排除された結果そういう企業が『御家中』のごとき男社会になったわけでそのかぎりで「男が排除した」とはいえるんだけどもそういう問題なのかしらん。かりに男社会になっちまった企業にあのてこのてのツギハギをしてそれで女のひとが働きやすくなるんですか。そりゃやらないよりは百倍いいんだろうけれども。家庭と職場を分離したことそのものに起因する歪があるように思うのですが。

じゃあ「家庭と職場を分離した」人の属性は何?
「家庭と職場を分離した」のために抑圧を受けた人の属性は何?
「家庭と職場を分離したことそのものに起因する歪」っていう言い方が、中立を装って、現実に存在する性差別を上塗りしていると私は感じますよ。

日付Thu Jan 8 11:56:19 2004




日付Thu Jan 8 17:12:42 2004


864
おなまえ
micmic
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メッセージ
歴史的社会的に、つまり人の手でつくられた、ってのはおよそ差別思想はすべてそうでしょう。だからこそ歴史的社会的に解消も可能ということになる。例外もあるのかな。だけどそのことは差別する側にたったひと--意図的にまわろうと意図せずに立たされようと--をいかなる意味でも免責はしない。その立場にたってしまった以上責任は発生する。自覚はしなきゃだめ。でもそれで自分だけは免責ってわけにはいかない。たとえば、ぼくが自分だけは女性差別しません。民族差別しませんって言ったとしたら、それはウソ。しかし、「歴史的社会的につくられたから、わたしに責任が発生する」とはなってもその逆はおかしい。迂闊といえば迂闊だけれどもそんなスサマじい居直りは想定外でした。しかし、そこまでの無茶な拡張に対する責任はもてませんし、もちません。でもそんなものすごい居直りするひとがいるのね。

単に男たちが女たちを職場から排除した、でそれでいいんですか。そのメカニズムがどんなふうにできてきたのか、どういう過程を経て定着しつつあるのか、が明確にされなければ、それをどう解体していっていいのかは見えないような気がするのです。その意味では、たとえおばさん・おばあさんが職場にいたとしても敬意をうけるべき位置にいなければ意味がない。最末端で差別されながら、さらに弱いものに圧力をかけるような仕方で存在しなければならないとしたら悲劇ではないかしら。

さて、「文章から読みとれる、直接には書かれていない隠された筆者の意図」に関しては書いた本人は発言権がない。それは本人の主観的な意志とは別のものであるから。よって発言しません。そう読みとられる種類の発言であったとうけとめはするけれど。

ともかくもその手の不快感を感じさせるかきものであるのはよくわかりました。そうである以上、ひっこめるのか、直すのか、註をつけるか。何らかの手は加えます。


日付Thu Jan 8 23:47:33 2004


865
おなまえ
micmic
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メッセージ
補足。抽象論だけれども告発されなければならないのはつまるところ『制度・仕組』であって『ひと』ではないだろう、もし『ひと』が告発されるとしたらそれはその『制度』に乗っかった罪においてだろうと考えています。もし『ひと』が裁かれて、『制度』が残るのだとしたらそれはつまらない。
だから、家庭と職場を分離した人の属性は?
という質問にはそれはひとではない。それにのっかったひとを免罪するためではなく、ひとを責めることでおわらないために。と答えざるをえないのですが。




日付Fri Jan 9 00:18:15 2004


866
おなまえ
micmic
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メッセージ
一晩、たって見てみると小麦さんが正しいね。わたしは制度・しくみとひきかえに男性全体を免罪するつもりのようです。制度とひきかえならば、白人も黒人差別の罪から免罪されていいと考えているし、非部落民や少数民族に対する多数民族、も免罪されなくてはならない、と考えています。
その意味では個人の主体性とか、自己のとらえかえし、個人の意志的側面に焦点を置くものいいは信用していません。個人に責任がないかといえばあるけれども、それを問うことの有効性はほとんど信用していない、といったところです。「理解しているフリをしながら」についてはそれをしもフリというならフリであります。

日付Fri Jan 9 08:15:04 2004


867
おなまえ
micmic
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メッセージ
ここのところずっと一般論だけど、近代的企業組織にメスをいれなければ、おばちゃんやおばあちゃんがそこにいても事情は同じでしょう。女管理職がいようが、女社長がいようが、女の子扱いはそのままで、女のひとどうしがあちらの立場とこちらの立場に分断されちゃうだけじゃないかしら。
そしてそれはすでに現実になっていると思います。


日付Fri Jan 9 08:41:09 2004


868
おなまえ
micmic
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メッセージ
ま、おばあちゃん論はわたしがひとりで騒いでいるだけだからどーでもいいんだろうけどね。自縄自縛、自給自足、くすん。
ところで主要なターゲットは制度であるにしても、日常でそれを問題として指摘したり、現実の局面で告発したりできるのは個々人なんだけどね。

日付Fri Jan 9 08:54:23 2004


869
おなまえ
micmic
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メッセージ
女の子扱いに関してもその問題点は外在的にとらえています。つまり、一般事務雑用というものは結構専門的な技能を要する職務であって、細かい状況判断能力を必要とする職務であり、パソコンなんかで置き換えできない仕事であり、それに就くひとは応分の敬意をはらわれるべきであると考えています。
外在的な問題としては、その役職がしばしば女のひと専門とみなされること、あるいは女子労働者の職場がそこにしか与えられなかったりすることもそうです。またその役職についているひとに対する敬意の欠如、その役職にはついていないはずの女のひとになぜかその役職の仕事が無償で期待されたりすることなどです。

いやさ、こないだやめた事務の男の子が要領の悪い子でねえ。はなしが全然通じないの。彼としては資格試験のつなぎ仕事ではあったんだろうけど。若くてカワイイ男の子、女の子がそう呼ばれることは別の評価軸があるかぎりにおいてかまわないと思うんですが。

抽象のはなしはさておいて、じゃわたしがどう行動するべきか、という問題になるとわたしの職場と家庭と地域とで、できることをするというはなしにしかならないんだけど。「できること」って何だよ、ってきかないでね。秘密。


日付Fri Jan 9 10:06:55 2004